天王寺楽所と雅亮会

 平安時代における日本雅楽の成立以来、その伝承は主に宮廷(京都)、南都(奈良)、四天王寺(大阪)の三箇所に設けられた雅楽団体によって行われてきました。これらの演奏グループのことをそれぞれ楽所(がくそ)といいます。四天王寺は飛鳥時代から奈良時代にかけて、当時の中国や朝鮮の様々な文化の集積地でした。従って雅楽はまず、奈良時代にこの寺にもたらされ、教習伝承がなされ、やがてそこから次
第に当時の都、奈良へと伝播していったのです。
 天王寺楽所の楽人達は、このような歴史的伝統を大きな誇りとし、技術の錬磨に励み、吉田兼好が『徒然草』で「都に恥ぢず」(第220段)と評するほどの技量を保っていました。また天王寺楽所は、応仁の乱に際しては京都での雅楽廃絶の危機の克服に大きな役割を果たし、江戸時代以降、大内楽所(京都)、南都楽所(奈良)とともに三方楽所の一つとして、独自の演奏スタイルをよく保持してきました。
しかし明治天皇の東京遷都(1868)により、宮廷や南都の楽人とともに、四天王寺の楽人達も召されて東京に移ることとなり、長年の伝統を誇ってきた天王寺楽所は解体の危機に陥ったのです。その伝統の消滅を惜しんだ大阪の仏教僧、小野樟蔭は残留の天王寺楽人や民間の篤志家を集めて、天王寺舞楽の再興を図りました。これが雅亮会の始まりです。雅亮会は1884年(明治17年)に設立され、それから百十余年にわたり天王寺楽所の伝統を受け継いで、今日に至っています。


雅亮会のあゆみ

明治・大正期を通じて、雅亮会は天王寺楽所の伝統をよく継承しました。四天王寺と協力し、設立以来、聖霊会(しょうりょうえ)舞楽大法要を欠かさず執行し、住吉大社の奉納舞楽も担い、当時の東宮(昭和天皇)の台覧舞楽の栄に浴するまでになりました。
ところが第二次世界大戦では、多くのメンバーを戦場で失い、また戦火によって楽器や装束の多くを消失してしまいました。しかし、天王寺舞楽の伝統の保持を強く望み、心から雅楽を愛好する人々の努力によって会員の数も次第に増加し、現在では140名を超えるメンバーが日夜研鑽に励んでいます。そして、後継者育成の為に、1956年から雅楽練習所を開設しています。すでに、ここで育った人たちが今日の雅亮会の中枢メンバーとして活躍しているのです。こうした積年にわたる会員達の熱意と努力の結果、雅亮会の伝承する天王寺舞楽は、1976年に国の重要無形民俗文化財
の指定をうけるにいたりました。

演奏活動

 

雅亮会は四天王寺、住吉大社、厳島神社及びその他の社寺における宗教儀式を活動の主たる場としていますが、雅楽の啓蒙と普及のために、1966年より大ホールでの公開演奏会(近年は大阪フェスティバル・ホールで11月末)を毎年開催しています。
更に1974年からは雅楽の研究者や、雅楽に対してより深い知識を求める人達を対象とした「雅楽ゼミナール」を開催し、音楽学、音楽史学研究の一端を担っています。
 海外においては、1978年10月に、国際交流基金とニューヨークにあるアジア協会との共催によってニューヨークのカーネギーホールでの演奏を皮切りに、アメリカ合衆国15都市へ1カ月に及ぶ演奏旅行を行い、大好評を得ました。
1981年8月には、韓国のソウル市で開かれたユネスコの国際伝統音楽協議会(IFMC)の招聘を受け、韓国での公式な雅楽の初演を行いました。
1987年6月には、国際交流基金の援助により、ドイツのシュツットガルト市での世界舞台芸術フェスティバル(Thetre der Welt1987)のオープニングに参加。引き続きミュンヘン、ケルン、ミュンスター、フランクフルトなどのドイツ五都市、フランスのパリ等で三週間にわたる演奏旅行を行いました。
1994年には、ポーランドのヴォツラフ市で開催されたヴラティスラバ・カンタンス音楽祭の招聘を受け、国際交流基金の援助のもとに旧東欧圏では初めての雅楽演奏を行い、引き続きオランダ・ユトレヒト市でのRASA音楽祭、マーストリヒト市でのMUSICA SACURA (聖音楽)音楽祭に参加しました。
1996年8月末には日本・ニュージーランド協会の招聘で、ウェリントン、クライストチャーチ、オークランドのニュージーランド三都市で雅楽演奏を行いました。。ニュージーランドでは雅楽は初演。またウェリントンのヴィクトリア大学では会員によっての英語によるレクチャー・デモンストレーションも行われました。
雅亮会は度重なる演奏旅行を行い、日本の伝統文化の紹介と国際親善にも尽力しています。

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